2012/01/31

粗報の研究。

自分らしいInformation Diet方法論、考察のつづき。

情報を食物のように考えることを試しているのだが、デザートやケーキなどの嗜好品にあたる情報だけはすぐに発見できた。
それはゴシップだろう。
そういえばことわざにもある。
「人の不幸は蜜の味」
ゴシップにはたくさんの糖質が含まれていて人を魅了し、時に中毒症状さえも引き起こす。
ゴシップ的情報の摂取は健康な情報身体を作る上においては気をつけなくてはならないようだ。

仲間や家族とのメールのやりとりは水分補給のように思う。
一日を通して適度に摂取した方がよいものであるしノンカロリーだ。
それはあまりに当たり前な情報過ぎて重要でないように感じるけれど、実は僕らの身体の60%は水分で出来ている。
それだけ水分というエレメントは人間にとって大事だということだ。
家族や仲間との情報交換や会話はこの水分補給と同じだけの重要さがあると思う。

それ以外にメディアが扱うニュースは雑多な栄養素にあてはめることができると思う。
定義する必要もないので割愛するが、要はバランスよく摂取し、食べ過ぎないようにすればいいという事だ。
ある人には経済ニュースがタンパク質かもしれない。
ある人にはスポーツニュースかもしれない。
その摂取の仕方は味覚の違い程度の些細なことだと思うが、それでも情報身体の組成はそれによって変わってくると思う。
だから結局はバランスよく摂取することだろう。

僕にとっての主食、白米にあたる栄養素は経済ニュースだと思う。
新製品や企業のスタートアップ、新しいビジネスモデルとサービスの開始といった情報の中に世の中の流れはほぼ投影されていると思う。
対して政治ニュースなどは普遍的なものであって実は世相を反映していないと思う。
献金、汚職、利権、スキャンダルとお馴染みのルーティーンコントに付き合う暇はない。
政治では世の中は良くならない。
世の中を良くできるのはSteve Jobsのような理念を持った起業家だと思う。

こうして考えると全ての情報が栄養素を持っている訳ではないという事がわかってきた。
情報によっては毒でしかないものがあるので、それらについては摂取してはならない。
テレビなど情報がプッシュ通知されるメディアにおいては毒である情報が噴霧されてくる恐れもあるので注意が必要だ。

ここまで考察して思うこと。
やはり情報摂取は食生活と同じだという事。
お腹が減った時に食べたいものを適量だけ食べれば良い。
情報がほしいときに、必要な情報だけ探して適量摂取するという事を守り健康な情報身体を形成する。
満腹時にも情報を点滴のように身体に送り込んでくるタイプのメディア、とりわけテレビとラジオとの付き合い方には注意が必要だと思う。
近年はインターネットでもプッシュされるコミュニケーションが多くなってきているので、Twitterタイムライン、RSSフィードにも注意が必要だ。

情報肥満や情報中毒から脱却し、健康な情報身体を手に入れるのはなかなかもって難しい。
でもだからこそ取り組まなくてはならないと思う。
過度な情報摂取で発病し、取り返しがつかなくなってからでは遅いのだ。