2012/02/06

音楽文化考 : 聞く音楽から弾く音楽への変遷

毎度おなじみ音楽業界に関する考察。
ここ数年の音楽業界の衰退はご存知の通り。
前回は販売力の低下は音楽魅力の低下によるものと分析した。
でもそれだけが原因ではないとも思う。
ユーザーの音楽との接し方の変化が大きいのではないか。
僕が肌で感じるのは音楽は「聞く」ものから「弾く」ものになったという事。

「特権階級音楽」
その昔、楽器はとても高価なもので誰でも手に入れられるものではなかった。
よしんば楽器を手に入れられたとしても高度な教育が施されなければ演奏できるようにもならなかった。
音楽は民衆の為のものではなく、貴族や特権階級の所有物だった。

「民衆からスターの生まれた時代」
安価な楽器が発売され民衆が楽器を所有できるようになっても教育の方がついてこない時代もあった。
見よう見まねで学習しそれぞれ我流の演奏法を習得した時代には、その副産物としてオリジナリティあふれる発明品のような才能が生み落とされていたが、やはり音楽は民衆のものではなく、多数が少数の才能を享受する時代にあったと思う。

「ミュージシャン パンデミック時代」
バークリー音楽院による音楽理論の確立そして普及と共に、難解なハーモニーは「コード」というサンプリングされた響きに置き換えられ、誰でも美しいハーモニー進行を作る事ができるようになった。
難しい理論やハーモニーの善悪を判断できる能力もいらなくなり、ギターやピアノで音楽は大量生産できる時代に突入する。
ようやく音楽は民衆の所有物となり、誰でも美しい響き、メロディやリズムとたわむれることができるようになった。

「ミュージシャンからサウンドクリエイターへ」
そして現在、音楽はコンピューターによって更に簡略化され「便利」にまでなった。
用意されたドラムループをワンクリックで鳴らすだけでプロクオリティのサウンドが誰でも「選択」できるようになった。
楽器を弾く為に練習したり、音楽理論を学んでミュージシャンになる時代は過ぎ去って、コラージュで互いのセンスを競い合うサウンドクリエイターが時代を牽引しているのも音楽の大衆化の証拠であろう。
ギター奏者としての僕はこのトレンドにはObjectionがあるが、音楽の普及と貢献という側面においては好意的にとらえるようにしている。

以上のような音楽文化の変化が日々刻々と起きていて、それが如実に音楽ビジネスの衰退となって現れているんだと思う。
しかし既存のビジネスモデルが衰退する裏では新しいビジネスモデルが息吹いている時でもある。
新陳代謝が行われ古い角質がとれて新しい細胞になるのは良い事だから既存ビジネスの衰退は構わない。
だが一方で音楽文化そのものが変質し、便利という名の下で実は「退化」をはじめているのだとしたら深刻な問題だと思う。
現にその兆しはメディアが扱う音楽において明らかだ。

僕自身はこの現在においてミュージシャンでありたいと思う。
学びと創作の矛先をテクノロジーではなく音楽の本質に突きつけたまま、ぶれずに突き進んでゆきたいと思う。