2013/02/27

アルペジオがセンスを無効化する。

アドリブメロディを弾く時、どのようなラインを弾くかによって演奏者のセンスが問われる。
センス、つまり演奏者の「美意識」が問題になるので、演奏者はその責任を背負って必死に良いメロディ、美しいメロディを作曲しようと気負う。
そのくらい気負ってしまうのも当たり前だと思う。
なにせ自分自身の深くにある美醜の感覚を測られるというのは人格をみられるようなもの。
それで気負わない人はいないと思う。
気負うからこそアドリブはシリアスになり、聞く人をくつろがせないImprovisationという芸術に成る。
それはそれで素晴らしいかもしれないが、僕はもっと楽しく、気軽に「アドリブ」したいとも思う。
Wes Montgomeryの演奏から感じ取れるあの楽しげなアドリブが僕には必要だ。

美しいメロディの定義は簡単だ。
コードのInformationをContainするメロディであり、アイデンティカルなもの、つまりは歌いやすいものだ。
それを簡単に引き出せるコンセプトはChord Tone Improvisation、つまりアルペジオだろう。
指定されたコードがあり、それに沿ったメロディはそのコードトーンを強調したものだ。
アルペジオを弾いている限り適さない音は一つも弾ける可能性がない。
コードトーンに解決さえしていればスケールワイズな音でないクロマティックな音もいくらでも利用できるようになる。
アルペジオの前においてはスケールという概念までも弱体化し、それを無視しても美しいメロディ、Reasonableなメロディが大量に自動生成される。
「美しい=アルペジオ」といっても過言ではない。

僕は今、メロディのイメージを頭で描かないアドリブを研究し練習している。
長年歌うようにしてImprovisationしてきた身には骨の折れる作業だったが、できるようになってくると面白い。
フレーズは手元から自動生成されてくる。
しかも的を得ていてリーズナブルな響きのものばかりが生成されてくるので、美しくない時間がない。
かっこ悪く弾くことが困難だとも言えるくらい、常に一定以上の美しさというクオリティを維持してくれる。
音高を追う必要がなくなるのでアドリブ中のリズム表現が格段にあがる。
レイドバックせずにライトでタイトなタイミングで発音できるようになる。
しかもアドリブ中にだ。
アドリブは作曲ではなくなり、実験になってくる。
リスナーと同じくらい演奏者も客観的に音を楽しめるようになってくるその時、気負いが全くなくなっている自分に気がつく。

アルペジオ中心主義の有用性はまだまだ書ききれないが、初心者のギターImproviserにとってはこのコンセプトの方がしっくりくると思っている。
アルペジオがセンスを無効化し、美しいメロディを教えてくれる。