2014/11/29

人格、すなわち忍耐力。


”人格とはすなわち我慢する心だ”。
何かしらインプットされてくる情報や局面がある。
それを打開しソリュートしなくてはならなくなる。
人格が理性的にその局面を分析し最適なルートを選択する。
それを実行することができれば問題は解決し、その出来事は知識としてストレージされ良い人格へと一歩進み人生は切り開かれる。
そう、問題解決とはとてもシンプルな構図でできている。
理性をもってこのように対処すれば人生はさほど難しいものではない。

しかしこの一連のフローを邪魔するやっかいな物がある。
われわれの中にある”気持ち”という感情だ。
「心がこれを行うことを嫌だと感じた。だから辞める」
理不尽であり得体の知れないこの感情に誰しも振り回され、正しいタスクを行えないことで不利益をこうむっている。
それを”直感力だ”と解釈し、肯定する人もいるが直感とは長年の経験により蓄積された英知が一瞬で解を導きだし、そのフローをわれわれが追う事ができない事を言う。
つまりは”英知による解”であり感情とは全く別のものである。

またこの感情による意思決定を”Pure”なもの”本心”などと擁護する人もいるが、状況を省みずに感情のみで判断を下す人に人格という知性を感じる事ができるのであろうか。
事象や思考の本質を見極めた言葉で定義せずにその近くにある都合の良い言葉で定義し自己肯定する。
このようなフローの中からは進歩は絶対に生まれない。
”価値のすり替え”とは恐ろしいものであり、言い訳では物事が改善しないことの本質はここにある。

感情論をなくさなくては正しい判断はおろか正しい認識さえできない。
気持ちだけで下す判断は本質を欠き、自己肯定に基づいた逃避へとつながってゆく。
逃避することで短期間に状況は改善するかもしれないが、自己肯定により人格は間違った方向へ強化される。
逃げ出すことは思考放棄でありシンプルに定義すればただ”我慢できない”という事実でしかない。
”感情論=我慢できない人格による自己肯定の弁と思考放棄思想”ということだ。

これを踏まえてどうあるべきか書き記して自分にとっての戒めともしておきたい。
感情をおさえこみコントロールすること。
知性と打算による判断に基づき感情の入り込む隙間を作らない事。
言い訳しない事。
逃げないこと。
誠実でいること。