2015/08/30

テリー ギリアムの予言。


わがアコースフィアレコードで育成中の新人ギタリスト森田くんとスタジオライブ映像を撮った。
楽曲は"Don't Know Why"。
ノラ ジョーンズによるリバイバルヒットでたくさんの人の知るところとなった名曲だ。
そのノラによるバージョンを意識しつつソロギターで同じような空気感を演出できないかと思ってふたりで長い時間をかけてギターレッスンを通してアレンジしてきた。
ようやく録画までこぎつけてこうやって映像作品として結実する事ができた。
本当に嬉しい事だ。

YouTubeがユーチューバーという人々が見せてくれたように巨万の富を稼げるサイトであってもなくても僕にとってのYouTubeの魅力、存在意義はかわらない。
今の自分の姿を発信し、共有し、遺すこと。
それができる唯一無二の場所、それがYouTubeであると思う。

YouTube、インターネットの未成熟だった20年前、僕ら音楽家は自分たちの作品を発信し知ってもらう為に毎日路上に立ってライブをした。
レコード会社やメディアの中にいる権力者たちに認めてもらうための活動を余儀なくされ活動の大半を"広告"に費やしていた。
運良く業界の内部に受け入れられたとしても権力者によって自分たちの作品はねじ曲げられた。
音楽家は自由業ではなく、サラリーマンよりも狭き門への"リクルート"を延々と繰り返す人種だった。
そういった環境を改善し、自由でまっとうな生き方ができるようになってきたのはひとえにインターネット革命のおかげである。
とりわけYouTubeの功績は大きい。
だからぼくは現在YouTubeがどんなにいかがわしいサイトになってきていても使い続けるだろうし感謝している。

インターネットに自由な空間がうまれ僕ら音楽家は息を吹き返した。
しかしそこにかまけているうちに路上の音楽家は消え去り、吉祥寺の駅前も常時2桁をこえる警備員が徘徊し街の"秩序"をまもっている。
窮屈で息苦しい現実社会はもう映画"未来世紀ブラジル"そのものだ。
テリー ギリアムが予言した社会が現実のものとなってゆく。
ジョナサン プライスのようにそこに適応しようと努力して病むのか、デニーロのように地下にもぐって正気を保つのか。
テリー ギリアムはその時代の生きる術さえも映画で提案していたのかもしれない。